木鶏【木鶏】『荘子(そうじ)』という本に書かれている話です。 『荘子』の作者は、「荘子」(“そうし”と濁らない)でという紀元前四世紀頃の人で、宋(そう)の国に生まれ在野の自由人として生涯を過ごしたらしい。 昔、紀省子(きせいし)という、闘鶏を訓練する名人がいた。 ある時、王様から一羽の闘鶏を訓練するように仰せつかった。 十日ほどたった頃、王様が尋ねた。 「どうだ、もうそろそろ使えるのではないかな」 すると、名人が答えた。 「いや、まだまだでございます。今はやみくもに殺気だって、しきりに敵をもとてめています」 それから十日ほどたって王様がまた尋ねると、名人は、「いや、まだでございます。他の鶏の鳴き声を聞いたり、気配を感じますと、たちまち闘志をみなぎらせます」 また、十日ほどたって王様が尋ねると、 「いや、まだでございます。他の鶏の姿を見ると、睨み付けたり、いきり立ったりします」 さらに十日たって王様が尋ねると、今回は名人、こう答えたという。 「もうよろしゅうございましょう。側で他の鶏がいくら鳴いても挑んでも、いっこうに動ずる気配がなく、まるで、木彫の鶏のように見えます。これこそ徳が充実している証拠でございます。こうなればしめたもの、どんな鶏でもかないっこありません。姿を見ただけで逃げ出してしますでしょう」 最後のくだりを読み下し文で書くと 「これを望めば木鶏(もっけい)に似たり、その徳全(まった)し」 となる。 「徳」というのは、この場合、才能などさまざまな要素を含んでいる。 そういう様々な力を兼ね備えていて外見は、木彫りの鶏のように見える。 それでいて、他の闘鶏がしっぽを巻いて逃げ出してしまうというのだからその説得力は抜群である。 徳が充実してれば、戦わずして勝ことができるということであろう。 -・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・- この話、なぜが好きなんですよ。 こんな「徳」を備えた、人間になれたら、素晴らしいですね。 日々、精進ですね。(^_^)/ |